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思い出の馬たち
思い出の馬たち
* ヨシノホープ (牝)
中一の頃のパートナーで、一番可愛がっていた馬です。
ヨシノホープ(1974年6月16日生)は、トロッターという競駕競走で走っていた馬ですが、その競駕競走が
廃止になった後、熊本大学の馬術部に送られ、その後、大津高校の馬術部に送られたと聞いています。
JBISの記録によると、1981年、1982年にホワイトフォンテンと繁殖してヨシノホワイト、キングウインという牡馬を
産んでいます。
* スポーツクイーン (牝)
福岡山口県対抗馬術大会で初優勝したときのパートナーです。
トロッターという競駕競走で走っていた馬で、その競走が廃止になった後、
トロッター種の保存のために繁殖用として北海道に送られたようです。
* シバハヤ
シバハヤ(1963年4月10日生)の両親は共に英国産馬で
1966年に、皐月賞、ダービー、菊花賞、に出走したり、
障害で三勝したりと、様々なレース経験の持ち主。
* ブゼンエイト
ブゼンエイト(1965年生)父はフランス産馬
ブゼンエイトは京都大障害の優勝馬です。
かつて小倉競馬場では、二頭だけで競走する
マッチレースというのがありました。
休養明けのブゼンエイトは、それに出場してキングスピード
に、苦しくも負けた経験があります。
このマッチレース自体は、それっきりなくなってしまいました。
過敏な馬で、他の人があまり乗らなかったので、僕が割と
自由に乗ることが出来ていたという経緯もあり、
特に可愛がっていました。
* ハヤフジ
馬場馬術でペアを組んで優勝しました。
当時、僕は15歳、ハヤフジは20歳でした。
ハヤフジは僕よりずっと経験豊富でしたから、
そのお陰で、優勝することができたのだと思っています。
* チェリー
親善大会は、小倉競馬場と上野乗馬苑の二カ所で春秋の年二回開催されていました。
双方とも馬は開催クラブの馬を借りるようにしていました。それで、上野乗馬苑での試合では、僕はだいたい
上野乗馬苑所属のチェリーに騎乗していました。優勝は一度だったと思います。
* アズノール
上野乗馬苑所属の馬でした。
元々小倉競馬場にいた馬で、当時はヒサニシキと呼ばれていましたが、移動で上野に行って名前も変わりました。
* フブキオー
フブキオー(1962年3月13日生)父はフランス産馬で、
身体が白い馬でしたから、小倉競馬場で誘導馬として
活躍していたので、長い間、移動しないで小倉にいました。
* サイクル
≪ブジョンヌイ≫という種類の馬で、
中央競馬会(現JRA)に、旧ソ連からやって来た
何頭かの馬のうちの一頭です。
現在、日本にはこの品種はいないと思います。
* マサミンシオ
マサミンシオ(Masa Mintio)は競馬でも活躍した馬で、
小倉競馬場にやって来た当初から、先生専用の馬で、
調教も十分為されていて素直でとても乗りやすい馬でした
* ミス・フジフク
* ロータリーシロー
* スピードアゲイン
スピードアゲイン(1967年2月25日生)父はロイヤルチャレンヂャーというアイルランドの馬です。
スピードアゲインは馬場馬術も障害もこなせる馬で、
大学の馬術大会では全国大会にも出場した経験がある馬です。
僕は九州大会の馬場馬術で騎乗して三位入賞を果たしました。
* ワイエムタロー
ワイエムタロー(1968年3月11日生)は、黒鹿毛の美しい馬でした。
* ウメノキング
ウメノキング(1962年4月26日生)は、ブゼンエイトの前に気に入っていた馬で、
小倉競馬場の先生が馬事公苑から転勤してきたときに連れてきました。
大変乗りやすい馬で、九州大会に騎乗する予定でしたが、
前日に他の人が大会で騎乗した時に転んで足を怪我したので、僕は乗ることが出来ませんでした。
* レオンハルト